今日はプリンスの誕生日だ。
プリンスの話を書こう。
プリンスは音楽業界のイノベーターだった
これ、プリンスにもぴったり当てはまるじゃないか!
プリンスはまだ音楽のサブスクが無かった時代、2001年に新曲を毎月配信するサイトNPGMC(NPG Music Club)を立ち上げた。
アップルのiPodの発売が2001年だからプリンスの行動の速さたるや!
ここでネットに疎いファンはプリンスから離れてしまったが、コアなファンがついてきた。
当時、曲のダウンロードに半日かかることもあった。
音楽業界のイノベーターだったプリンス
まだ音楽のサブスクが無かった時代に新曲を毎月配信するサイトNPGMCを立ち上げた。
ここでネットに疎いファンはプリンスから離れてしまったがコアなファンがついてきた。
当時、曲のダウンロードに半日かかることもあった。 pic.twitter.com/QDSadf0lUB— よあけウェブ|20年ほどネットで稼いでる変な人 (@yoakeweb) June 6, 2020
プリンスのファム(ファンのことで家族の意味合いがある)はクリエイティブな人が多い。
プロ並みの絵が描けたり、プロ並みに楽器が弾けたり、DJをしたりと多彩な人が多い。
ひょっとしたらプリンスがメジャーレコードから離れてしまった時期に、パソコンやインターネットを使いこなせる人を創出してしまったからかもしれない。
何を隠そう私もその1人だ。
1994年に発売されたCD-ROM『INTARACTIVE』
これ以降、プリンスの主な情報源はインターネットのみになった。
プリンスがメジャーシーンからフェイドアウトしてしまった時期にパソコンを購入し、インターネットを始めた結果、数年でWEBデザイナーとして仕事をするようになっていた。
もともとデザインなどが好きだったのもあるが、このきっかけがなければ出遅れていただろう。
レインボー・チルドレン
プリンスの新曲の独自配信サイトNPGMCで突如発表されたのがフルアルバム『レインボー・チルドレン』だった。
確かアルバム丸ごと1ファイルだったように思う。
LOVESEXYの前例があるので今更驚かなかったが、この音源をダウンロードするのに確か半日とかかかっていたと思う。
当時のADSL回線でサーバーにアクセスが集中してしまえば、データの転送速度がいちじるしく下がってしまう。
そんな苦労もありつつだが、プリンスの新譜がミネアポリスからダイレクトに届く感じは特別なものがあった。
音楽的には大絶賛されつつ、独特の宗教観が賛否両論だった。
プリンス自身、このアルバムはかなりの自信作だったに違いない。
プリンスの全てが注ぎ込まれている名盤だ。
One Nite Alone Live
2002年プリンス6度目の来日公演にして最後の来日公演。
2002年のOne Nite Alone ツアーはアメリカ・カナダ・ヨーロッパのあと日本公演で幕を閉じた。
その後、NPGMCでは日本ツアーのリハーサルで演奏したインスト曲を Nagoya・Osaka・Tokyoとタイトルをつけて発表している。
日本のファムにとっても思い出深いこのツアーアルバム、発売後入手困難となっていたものがようやく再発された。
プリンスのキャリアの中で初のライブアルバムだ。
2019年に福岡のソウルバーGoodie’sに行った時に当時のドラマー John Blackwellのサインを発見してしばし言葉が出なかった。
残念ながら彼も亡くなってしまっている。
One Nite Alone Japan Tour 2002年11月26日 福岡サンパレス
プリンスの軌跡に触れて複雑な気持ちになってしまった。
プリンスが生きていれば・・・
ちなみにYOAKE WEBのYOAKEはプリンスのWelcome 2 The Doneから連想してYOAKEにしました。